小学校一日目のさながリベロ

 先週から小学校が始まって、入学式の翌日に初めて朝から小学校に通った日のこと。
 その日から数日間は各通学ルートごとに先生が監督しながらの集団下校で、親は自分たちの家の近くの通学路まで迎えに行くということになっていた。

 そして、みんな帰ってきたのに、さなだけその集団の中にいない。行方不明に!
 何? わざわざ集団下校なんて言って先生が引率してきてるのにそういうことあるの? と意味不明になったんだけど、先生は、各ルートにどんな子供がいるっていう一覧表はいちおう持って歩いているんだけど、一人ひとりの子が、今日はどこで親が迎えに来てさよならした、とかはいちいちチェックしていないみたいなわけ。携帯も持ってなさそうで、お母さんが迎えに来た方などは道々引き渡してまーすってくらいの受け答えで、今子供が一人いなくなっているからってなんの役にもたってないし、たちそうにもない……。


 お友達は、途中までは一緒にいたと言っているんだけど、今はどこにもいないし、え〜、何これ、どうしよう〜って思っていたら「あれ? さなちゃんの声じゃない?」と友達のお母さんが言う。
 さなが居なかったことがびっくりすぎて周りの音とかちゃんと聞き分けていなかったんだけど、改めてそう言われてみると、確かにどこかから断続的に何か耳に障る音……声が響いてて、その声は

「おかあさーーーーーーーーん あーーーーけーーーーてーーーーーーー……… 」

って叫んでいる。さなだったら、開けてって言っているということは、まだ一度もさせたことないのに、どこだかから一人だけで歩いて家までたどりついて、エレベーターにも一人で乗って、マンションの結構高層階であるうちの玄関の前の外廊下についてるってこと、そこから直線距離で200m弱あるここまで声が聞こえてるってすごすぎるよ、さなの大声……。

 まだ半信半疑というか、結構気持ちが茫然としていて、多少わけもわからずのまま、まぁ、さなの声なんだろうなぁと考えてとりあえず家に向かって走ってた。うちはマンションの十何階にあって、本当に高いので、しっかり理解するまで言い聞かせたこともあるからそんなことはないと思いたいけど、お母さんを探そうと大声を出そうとして、あの目も眩むような外廊下の柵から身をのりだしたりしてないかな、私が戻っていることに気づいてしまったらエレベーターに乗っているうちにさなも降りてきてすれ違ってまた会えなくなったりしないかななんて気にしながら、だからといってなにかできることもないし、とにかくいそいで家までついたら、廊下でさなが、ぶえーって泣いてた。

 とりあえず廊下で少しと、さなの見事なぶえーん面を写真を撮って、家に入ってしばらくの間、
1:皆で一緒に下校することになっているのに、同じマンションに帰る子たちが何人もいるのに勝手に一人だけ別の道を行くことがまずおかしいだろう
2:マンションまで誰かと一緒に帰ってこなければならないんだから、自分が正しいと思う道があるなら、先生に挨拶するなり友達もそっちに誘うなりしなければいけない(そしたらその時点でおかしいと分かったはずだし)
3:そしてそもそも、今日さなが歩いた道は通学路ではないんですよ。もっとちゃんと通学路を覚えなさい
4:もしこれから、どうしても家に入れないことがあったら、マンションの管理室に行ってお母さんに電話をかけてもらい、待たせてもらいなさい。(管理室は住み込み?なので、いつも管理人さんが居ます)
1:に戻る ×10回くらい という趣旨でがみがみがみがみ怒って最後には内容を復唱させた。

 あ〜ぁ、子供油断できねー……。私も事前にもっと確認しておかなかったことを反省しました。
 さな、私たちが待っている場所を通らずに、私達が待つ場所の数百メートル前のひとつ前の曲がり角で曲がって、通学路ではないその道を通って帰って、先に家についてしまっていたみたい。ピンポンしてもでないから、おかあさん、家で昼寝していて出てくれないのかなと思って、もっとピンポンして呼んだけどやっぱり出てこないから、お家には居ないんだと思って、外廊下の隙間からお外に向かって大声を出したという。なんで外に向かって叫んだのに「おかあさんあけて」なのかと聞いたら、そこはとにかく大声を出そうと思って叫んだからよくわからない、とのことでした。

 翌日からはさなが間違えた地点まで迎えに行ってます。そもそもそこが親の迎えに来るべき場所だったっぽい。誰も知らなくて、小学校からも何の指示もなく、幼稚園では、子供の現物を目の前で確実に親に引き渡すっていうことがしっかり行われていたけれど、小学校って、学校でさよならしたら、親に引き渡すっていう概念は全くなくて、子供たち一人一人が確実に家に帰ったかなんてことは先生たち気にしなくていいんだなぁ〜って実感しました。

 私は割と心配性なほうなので、今までは、一歩外に出たら公園のような場所以外では何があっても子供の手を離さないで歩かせていた。だから、しばらくの間だけ試しに、っていうんじゃなくて、これからはずっと子供を一人で歩かせようと、自分の意思で手を離したのはこの日が本当に始めてっていってもいいくらい。 手をつながなきゃじゃなくて、手を離さなきゃ、一人で歩かせるってその日はずっと思っていて、ずっとさなの手を握っていなかったみたい。
 そんなこんながあった日の夕方に、買い物でもう一度外に出て、やっぱり手はつながないで店で歩いていたら、突然さなが私と手をつないできて、そのとき手がすっごくふにゃふにゃで柔らかくて結構小さくて、今日からは小学生だから手をつながないって意識していたから、急に手をつながれたことにもその手のふにゃっふにゃ感や小ささにも驚いて、むしろ最近は、さなの手も大きくなってしっかりしてきたなぁ〜って思っていた程だったのに全く逆のことを感じてしまったら、こんな小さい手をもう手離して、一生繋いで歩いたらいけないの? そんなのやだよ〜〜〜! って家に帰ってから悲しくて悲しくてたまらなくて泣いた。

 でも、違うよね、よく、10歳くらいまで抱っこしてもいいって聞くし、これからも必要に応じて抱っこしたり手を握ったりしてもいいんだよね、オッケーオッケー、もっとめっちゃ大きくなって本当にさすがにやたらとできなくなるまでは、これからも家などではやりまくってやろう! とセクハラへの意識を新たにした夜だった。