年長になっての、さなの成長

 今年度になったくらいから、またひとつ、さなのお世話から手が離れたよ! と実感できる成長がみられている。傍から見るなら何でもない成長過程の一歩だろうけど、私の中では、2歳でおっぱい離れしたときと同じくらい、とても大きな出来事に感じているのでこの開放感を書き残しておきたいです。

 それは、「一人でお風呂に入る」ようになったこと。一人で顔と身体と髪の毛を石鹸やシャンプーで洗ってお風呂でひとしきり遊んで、出てくるっていうのができるようになったこと。
 お風呂って自分が入るのも面倒なのに、子供にも一から十まで毎日欠かさずお世話するのってますます大変。それがしなくて良くなってすっごくすっごく楽になった! って感じる!
 もちろん、さながお風呂に入っている間は、完全に放っといているわけではなくて、少しお風呂の扉を開けといてもらって、出てくるまでずっと、何をしているか漏れてくる音を聞いて確認しながら待っていたり、最後には、石鹸やシャンプーが全部落ちているか確かめつつシャワーでもう一度首から身体を流して、アトピーもちなので保湿剤を塗ってあげたりはするんだけど、これまでのように、自分も必ず脱いで一緒に入浴して洗ってあげたりしなくていいだけで、それが普通になって、本当にすごい楽になった!
 
 もう一つは、幼稚園に行くときの持ち物の準備を自分でさせるようにしたこと。小学校では自分で準備しなきゃならないから、今からできるようになろうね、と言って年長になった時から自分で準備をさせ始めた。朝、私が自分のお化粧とかしている間に、さなも顔を洗ったりシャワーをして、衣装箪笥・キッチンの戸棚などから、幼稚園への持ち物を拾いだしてカバンに詰めて、制服に着替えて、髪の毛をとかしておく。その後髪の毛を結んであげて、幼稚園に出発という感じ。これも、自分でさせるようにしたらとても楽になった。

 あと、これも地味なことなんだけど、一緒に帰宅して玄関に入った時に、先に玄関に入ったさなが、スイッチを押して電気を点けてくれるようになったのが本当に素敵! 子どもと一緒だと図書館の本、スーパーの買物など、荷物を持ってることも多い、玄関の鍵を開けて、扉を開けて、子供を先に中へ通し、そこでごちゃごちゃと靴を脱いだりしている子供の上を通り越して手を伸ばして玄関の灯りのスイッチを押すって割りと面倒な動作じゃない? 子どもと一緒なら当たり前ではあるけれど、小さい子供を連れ歩くときの親って、この「マイナス百からプラス百まで、つまり、ありえない事を想像することから何か起きた時に対処することまで、そしてその間の何でもない一つ一つの動作も何もかも全て自分がしなきゃならない」っていう状態で、それが常の状態で当たり前のことなんだけれども、そんなときに、「玄関の扉に先に入った人が玄関のスイッチを押して灯りを点けてくれる」っていうたった1つのことが、本当に、どれだけ素敵なことに感じることか! 

 ここで何が素敵かっていうとですね、「付けてくれる気持ちは嬉しいけど、背伸びしても届かず、結局親が点けてあげる。ほのぼの」とかではなく、スイッチ一発で確実に「電気を点ける」ことを成し遂げてくれているというのがポイントなんですよ! 
 良く、育児に関する話題で『「子供をお風呂に入れてくれる」パパが、お風呂にちゃんと入れて、出して、その後の後始末や最低限の後掃除、湯上がりの子供のケアもろもろまで全てをやってくれるんでもないくせにママの役に立ったと思いやがっている』パパの脳天気さについて取りざたされることってありますが、そっち系じゃなくて、電気を点けてくれるというのを成し遂げてくれているから、成長してくれたなぁ! と素敵に感じるんだろうな。
 私がするべきことの「手伝い」ではなく、「やってくれた」っていうこと。嬉しいし、子供の成長とか、してくれた気持ちにも、そして行為そのものにも、感謝してしまいます。