俳句が思っていたより自由だった


部屋の床に落ちてたさなの俳句……。

この前、Eテレ天才テレビくんで、俳句の先生が俳句の作り方を教えてくれていた。
よみたい情景を五七か、七五で言葉にする。そして、残りの五文字はその季節の季語のなかからなにか選んであてはめる。これで完成。

俳句には季語っていう決まった言葉を使うことが約束というのは知っているけど、なんとなく、まずはじめに今回使う季語を決めてしまい、そのあと残りの言葉を考える、ってして作るんだと思っていた。
だけど、先生の教えてくれていたように、切り取りたいことをなんでもぺろっと言葉にしてしまい、最後に、なにかしらその場にあてはまる季語をくっつければハイ完成〜、ってしたほうが、比べ物にならないほど自由に俳句がつくれるみたい!!!

いまのこしておきたい景色をとにかくそのまんま言葉におとし、そこに、それがいつのことだったかって、タイムスタンプがつくように季語をつける。そういうふうに俳句をよんでも良いのなら、現代の私たちが、何かを忘れないでいたいって願うときに事あるごとスマホで写真を撮ってしまうのと全然同じだ!
写真がない昔にだって、忘れたくない瞬間やあのときその場にいた記念、暮らしてゆく日々、あぁと思った景色を残したり思い出したりするための手段はちゃんとあったんだなって、嬉しくなった。