雛飾りを片付けた、春がくる

 お雛様を出した話をしないで片付けたことだけを日記に書くのもどうかという感じだけど、この1ヶ月は短かかった。
 春からのバザー係で作るものの試作も一段落して、来週1週間でもう春休みに入るので来期の父母会役員の顔合わせ会があったり、そろそろ来年度用の配布物を作っておかなきゃとか、布製品の材料の必要量の確認、などの実務的な事が始まる。その前のぽっかりあいた1ヶ月という感じだった。
 10日程前に、16年間飼っていた猫が体調を崩してあっけなく死んでしまって今すっごいショック。
 何も手に付かないとか、悲しくて泣いてばかりいるというわけではないし、お供えのお水も毎日換えてあげてるんだけど、猫がもういないって一日の中で何度か考えてしまうたびに、体の中心におっきな穴が空いてしまっていることに気づいたような気持ちになり心の動きが止まる。こじらせるとダメだと思うので、どんな気持ちだったかというのを忘れたくなくて日記に書いてはいても、それ以上自分の気持ちを評価することなく、思うことに対してあまり深く考えないようにして日々を過ごそうと思う。


 ちょっとおもしろかったのが、ネットで見かけた「ペットは、自分が死んだことを飼い主が悲しむあまり「もうこの動物は一生飼わない」なんて思ってもらわれたら困ってしまうのだ」という話。主に愛玩動物として繁栄している動物にとって、自分が愛されすぎたばかりにペットロスをこじらせた人間が、その動物はもう飼わないなんて思っちゃったら、種が続いていくためには都合が悪いっていう意味。ホントそうだね! って笑えてしまった。その考え方によるなら、最高の飼い方をしてあげられなかったと悔やんで、自分にはより良い環境が与えられないからもう動物は飼わないって思うんじゃなくて、また飼う機会があるなら、自分が無理なくできる範囲で環境を用意しケアをして、愛情を持って一緒に暮らし、最後がきたときは看取ってあげて、それ以上をあげられなかったことを悔やみすぎることはせず、それでいいのかもなって。まぁ今はまだそういう事も何も考えたくないわ。猫様たちよ、すまぬ、時間をください。
 そんなこんなで、お雛様が一緒に猫を看取ってくれたという話。2晩昏睡状態になっていた猫を入れた温めた箱の側でリビングに布団を敷いて一緒に寝て、2晩とも明け方に、そのままの状況のこの深夜のリビングで、その猫が元気で側で過ごして居てくれているという明晰夢をみてしまい起きて泣いたり、2晩目には、なんか、もうダメなんだなって薄々感じてしまい、まだ生きているその猫にひとしきり、今生のお別れの言葉を言ったりしてた。その日が明けて夜になり猫が死んでしまい、次の日の朝ペット火葬車の人に来てもらって焼いてもらって花を買いに行って水をお供えしたり、一週間程を過ごし、今日の午後はさなと一緒にお雛様もすっかり片付けて、お雛様があったところに猫のお花と水を置いた。今年もお雛様との一ヶ月が来て、終わったなぁ。また来年会いましょう。


 さなはずっと風邪をひいていて、ほとんど幼稚園に行けてないのでこの数週間は家にこもって過ごしてた。今年は例年のこの時期より暖かくなるのが遅れているなって気がするけど、最近は日中に日差しが部屋に溜まり、夕方には暖房を切って空気の入れ替えをしたくなるような日が増えた。あと少しで春がくる。厳しい寒さで体調を崩して死んでしまった猫のことを考えると、手のひらを返したように明るく暖かさを感じるこんな日に外を見て虚しく感じたりもするけど。インフルエンザにはならずに春を迎えたい!