暮らしを守る

 図書館も休みだし、外に出なきゃならない用事が無いから私とさなは家にこもっている。
 原発事故の放射線をわりと気にして、一般の人が公的機関や自前のカウンターの測定値を随時アップしているスレをこまめにチェックしたり、必要がなければ換気扇を回さないなど、原発問題が落ち着くまでは実際に生活しながら出来る範囲で気を付けようと思っている。
 昨日来た生協の人は、物流上の施設の被災で冷凍物(肉・魚)が届かないと言っていた。ペーパー類なども品薄っぽいと言うので、逆に何が結構あるのかと聞いたら、牛乳はあるんだって。実家の岩手へはまだ荷物のやりとりができないので米を送ってもらうことができないけど、備蓄がなくなるまでには首都圏の品不足も解消しているかもしれない。
 計画停電に備えてランタン型のLEDライトとエネループの電池を買い足した。電気もすごく節約してる。エアコンを使わなくて済む季節にぎりぎりなっていたのが何よりだ。
 地震対策では、iphoneにラジオや地震速報のアプリを入れたり、割れ物をしまいこんで、必要最小限のものは水切りかごごと床に置くようにしたり、鍋を放置するときはシンクの中に置くとか、洗い物や洗濯はためないようにすぐやっちゃうとか。地震の日、トイレマットが最大限に水を吸うくらいトイレの水がこぼれてたから、マットは厚めのすうすうマットを置いて蓋はいつも閉めておくようにした。
 そして、急に何でも節約したり取っといたり大事に使うようになった。「いつか使うかもとなんでも捨てないおばあちゃん」の気持ちがわかってきた。ものが不足したり供給が少なくなるような状態を少しでも体感した経験をもつと、どうしてもできる限り何でも無駄に出来なくなってしまう。私たちのいつもやっている、買って使って消費してを自由に繰り返すという暮らしは、手のひらで掬った砂みたいなものだったんだって。
 非常持出し袋を準備すると、さなの服、90サイズの半袖類などこれからの季節のものは襟ぐりが小さくなって大部分サイズアウトしてしまったことに気づく。パジャマにしていたズボンたちも、いつのまにかサルエルパンツ風にすねが出てしまっているので靴下やレッグウォーマーを履かせた。西松屋に行きたいけど、事態がもう少し落ち着いてくるまで我慢かな。
 さな、トイレトレーニングが進んでいるようで、最近家の中では漏らさなくなってきていて、オムツを節約できるようになっているのも有り難い。おしっこもだんだん自分から行けるようになってきているから、自分でトイレいくっていうのを待ったほうがいいかもしれないのに、つい自分が行くタイミングでトイレに誘ってしまうことが多い。