いくつあるか数えることはできない

 いくつかある物を何個あるかなって聞くと、イチ・二・サンって数えてゆくんだけど、重複しないよう端っこから順繰りに指差す、なんてことはできないし、一度数えたものもまた数えちゃって「数字をとなえながらとにかく次々指を差す」ことをループする。こないだ、いくつあるかを数えられるのは3歳くらいからって本で読んだから、まだ好きにしてりゃいいかと見守っているんだけど、それよりもなによりもその迷いのない自由さに、きっと今の佐夏の頭の中ってこうなっているんだ!「何個」が「何個」じゃない世界に住んでいるんだ!! ってカタルシスっていえるような感動を感じてしまう。それが見たくて、つい何も教え込まずに数えさせ、それを見つめてしまうのだ。
 いうならば「ピカソの絵」(ゲルニカとかの)絵を見ていて、ある状態・もしくはある段階の人には本当に世界がこの通りに見えるのかも!って思うときの感動のようなものを感じるというか。